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執筆者の写真Mineyo Iwase

なぜヒトは過酷な環境で生活することを選択したのか。

連日、氷点下の札幌です。

このような環境で過ごしていると、なぜヒトは過酷な環境で生活することを選択したのだろうと考えてしまいます。


「ヒトの起源は」や「どのように世界各地に移動したのか」という問いは多くの人が持つようです。

古くは化石や遺跡を調べることによって、その問いの答えを探りました。

20世紀後半になると、DNA配列を解析することによって、ヒトの起源や移動を調べられるようになり、分子人類学が確立しました。ヒトの起源については、細胞内小器官であるミトコンドリアのDNAの解析が、有力な仮説を提案しました。子供は、ミトコンドリアDNAを母親だけから受け継ぎます。世界各地の人々のミトコンドリア配列の解析が行われ、子から親、親からその親に遡ることができるようになりました。そして最後にアフリカにいた女性のミトコンドリアにたどりつきました。この研究が認められ、現在生きているヒトはアフリカからの単一起源ということが一般的に信じられるようになりました。


一方、2003年4月には、ヒトゲノム解析計画の「解読完了」が宣言されました。ヒトの細胞にある核DNAの約30億塩基対が読まれ、遺伝子数は、2万2287個ということが明らかになりました。現在では、ヒトの核DNA全体の塩基配列を5~7週間で網羅的に解析できるようになっており、将来的な疾病リスクの診断にも用いられています。そして、この全ゲノムを解読する技術は分子人類学にも使われています。

2022年のノーベル賞を受賞したペーボ氏は2010年に、約4万年前までユーラシアに住んでいたとされる旧人類のネアンデルタール人の人骨から抽出された核DNAの全領域の配列を決定しました。そして欧州やアジアに住んできたヒトの核DNAの1~4%がネアンデルタール人から受け継がれていることを明らかにしました。

さらに、ロシアのデニソワ洞窟から出土した骨片から核DNAの配列を決定しました。この骨片の主を含む集団はデニソワ人と名付けられ、世界各地のヒトの核DNAの配列と比較した結果、メラネシアや東南アジアの集団では遺伝情報の4~6%がデニソワ人から受け継がれていることを突き止めました。



新たな解析結果は、現在のヒトは単純に世界各地に広がったのではないことを示します。例えば、ネアンデルタール人の遺伝情報をアフリカ人以外のヒトが受け継いでいるという事実は、6~7万年前にアフリカを出たヒトの祖先が6万年前ごろに中東付近に住んでいたネアンデルタール人と出会い、一緒に生活し、その子供たちが世界中に移動していった可能性を示すものです。

単にDNAの配列を解読しただけでは、どのように移動したかを知ることはできません。

現在、世界各地に住んでいるヒトのDNAを解析し、そのデータを統計的に処理し、遺伝的に一番近いヒトとヒトを繋ぐことができるだけです。でも繋いだ線の数を増やせば増やすだけ、ある方向へ移動した可能性が高まっていくことになります。それでも最初に私が持った「なぜヒトは過酷な環境で生活することを選択したのか」という問いの答えにはまだまだ辿りつきません。

しかし、最近では、ヒトのDNAだけでなく、ヒトの排泄物の化石のDNAや一緒に生活していた動物の化石のDNAを解析することができるようになってきています。そのため、ヒトがどの時代にどんな食べ物を食べていたか、一緒に暮らしていた動物の役割も分かってきています。




ヒトの進化に関わる研究では、このところ本当に多くの新しいデータが出てきています。

もしかしたら、「なぜヒトは過酷な環境で生活することができたのか」に対する答えは出てくるかもしれません。さらには、「なぜヒトは過酷な環境で生活することを選択したのか」ということも明らかになってくるかもしれません。

どこまで事実で、予想の部分はどこなのかを見極めながら、興味深い進化のシナリオを受けとり、サイエンスコミュニケーションをしていきたいと考えています。

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